東日本大震災から8年

こんにちはsaiです。今日は3.11。東日本大震災から8年が経過しました。東日本大震災と聞くと私はセットで原発事故も思い出します。

 

 

私のような第三者から見ても怒りが沸く事故だ。原発は本来絶対事故が起きないと安全神話がはびこり誰もが安全と思って来た。いや、思わされて来たのだろう。仮に事故が起こった場合に備え確か富士通が納入した汚染の広がりを予測する緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)を数百億で設置した。

 

それが政府の初動対応公表遅れが問題となった結果。どうなった・・。事故が起きて市民は当然八方に避難した。行先など関係ないただ遠くへ離れたい一心での避難です。

だが原発から放出されるセシウムと一緒の方向へと非難したのです。

その結果、福島県の浪江町や飯舘村などを含む福島第一の北西方向に多くが降り注ぎ同方向避難した市民はとてつもなく大きい線量に被爆となったのです。何のためのSPEEDI導入だったのか莫大な税金をかけて導入していざとなったら役に立たない。発表しなければ意味がない。早く情報が市民に伝わっていたら被爆せずに済んだ方が多かったはず。確実に反対方向のいわき方面へ避難したはずです。

ではどれだけの被ばくをうけたかと言えば30キロ超にわたり1時間当たり125マイクロシーベルトを超える高い線量の地域が帯状に広がった。この線量は8時間で一般市民の年間被曝線量の限度を超える数値と言われています。

※事故後に米エネルギー省が飛ばした米軍機によって地上の放射線量の分布を電子地図に表示する空中測定システム(AMS)を搭載して福島第一原発から半径約45キロの地域の線量を計測することで判明致しました。

 

 

原発の影響がない地域ならいずれインフラ整備によって復興されていくだろうが原発の影響がもろに受けた地域はどうだろうか

復興は進んでいるといいますが果たしてそうでしょうか。故郷を追われた方が多い中ふるさとがやっと避難解除されても子どもたちは帰ってくるでしょうか。道路や家が元に戻っても話が違ってくる。

追われた場所に戻るのは年を召したおじいちゃんやおばあちゃんだけでその息子たち夫婦はどうだろうか避難先で仕事を見つけ安定したらもう戻れないでしょう。孫たちだって戻って来ません。歳月が過ぎればインフラ整備も進んで行くがだれが放射線の残る場所へ孫を戻すでしょうか。安全の範囲に線量が下がってもためらってしまうでしょう。何も放射線だけでは無いのです。風評被害が一番大きいのです。

 

原発のある地域は原発を置くことで今まで多くの恩恵を受けて来ました。それが事故が起きてからはどうか・・おかしいことにそれは今も変わらないだろう。避難した住民に多額の援助名目のお金が出されている現実。

 

事故が起き被害にあった他の市町村はどうか。補償など微々たるもの。特に最も大きかった浪江町や飯館村などにもっと保障すべきではなかろうか。事故前から恩恵など受けておらず事故後はどうだ・・知らない土地へ避難し肩身の狭い思いをしながら暮らしている現実。年寄りならなおさら何故、故郷を離れなければならないと思っているはず。さぞかし無念だろう。もう東北から東京へ電気を供給するのは止めた方がいい。馬鹿を見るのもうんざりです。

 

 

ところで原発は安全ですから東京に作りましょう。東京の電気は東京で賄いましょうよ。大丈夫もう二度と事故は起きませんから安全ですから東京湾あたりを埋め立てって作りましょうか。今度はその電気を東北に送って下さいね。

 






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