3月11日あれこら7年が過ぎた。今も爆風で飛ばされたセシウムは存在している。爆発時第一原発から福島方面へ風が流れ同様にセシウムも飛散した。本当にたまたま風下だったことより被害が出てしまいました。
こんにちはsaiです。
NHKで被爆の森と題して放送が流れていた。私もここの村に仕事で通っていたので思い出してしまった。そこでちょっとつぶやいてみます。
土を掻き集め大きな袋に詰め込む。そうフレコンと呼ばれる黒い大きな袋がある。これにセシウムを大量に含んだ土壌を入れて保管しているのだ。つい最近ようやく一次受け入れ場所が決まりいっぽい積んである汚染土から解放されます。これだけで気分的にも違います。
ここは飯館村のとある場所です。原発から30キロほどしか離れていない。この村は道路や山林の一部を除染しました。そして線量も住むのには問題ないくらいに確実に下がりました。そして避難解除となった訳だが、既に村を出た多くの人は戻ってはこない。特に若者だ。村を出て知らない土地で生活基盤が出来てしまえば、仕事を辞めてまで戻るでしょうか。子どもには危険だと思ってしまった村だが元の土地に帰って来るでしょうか。
なかなか理解が難しいでしょう。安全だとは言ってもそれでも以前より線量が高いのは確かだ。年寄りしか戻ってはこない。たとえそこが実家だとしても若者が理解するまで時間がかかるでしょう。
除染作業をすれば一気にある程度は下がるがそれ以上はなかなか下がらないものだ。後は年月をかけないと難しい。
村の除染作業が行われていたときは関係者が村内に毎日訪れる人は3000人とも4000人とも言われていた。村の人口より多い人が村に来て除染を行って来た。村を歩くたびに異様な雰囲気に驚いたことを鮮明に覚えている。
私も村の線量計器の設置やメンテナンス・校正等で何度も通っていました。村人が早く戻ってこれるようにと祈りながら仕事をしてました。だってここがまぎれも無くここの人は自分の生まれ育った場所であり自分から出て行った訳ではない。一時的にセシウムに追い出されたのだ。
たまたま事故が起きた日が風下だったと言うだけで。風が吹く方向が変われば、私が住んでいた場所に来ていたかも知れない。それを思うとたまたま被害にあってしまったこの村の方々が赤の他人とは思えない。そんなこともあり原発事故後微力ながら縁があり前職にて協力出来たことに感謝致します。
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