アウシュヴィッツ平和博物館

こんにちはsaiです。

今日は1日中雨でした。朝から夜まで雨です。明日も天気が良くありません。雨は気がめいります。雨で何処へも行けないと思っていましたが、ふと昔行った「アウシュヴィッツ平和博物館」へ行ってみるかなと思い急遽出発致しました。




「しっかりと目をあけて展示してあるものを見ていってくださいそしてなぜこんなことがおこなわれたか・・・」博物館からのメッセージです。

 

ここで20分間のビデオを閲覧すればどれだけ悲惨な状態で虐殺されて来たかが理解出来る。人間として扱われなかったこと、機械のように次から次へと処理して行くさまが狂気としか思えない。

 

この本は戦争の中ポーランドの子ども達が描いたものと同じ時代にいた戦争を知らない日本の子ども達が描いたものと比較したものです。あまりにものギャップにこころ打たれます。

 

高等小学校1年(13歳)が描いた戦艦(陸奥)を描いたもの。

 

囚人服、配布される時は囚人のサイズなど関係ない。無造作に配られた。

 

この棒の高さは120cmあります。この棒に達しない子どもは無条件にガス室に送られる。仮に達しても大人と同じよう地獄の様な重労働が待っている。ほとんどの方は過労と病気、飢えで亡くなります。




「第一ガス室」いったいこの部屋でどれだけの人間が亡くなったのだろうか

死体の焼却を担当していたものは全て2,3週間で交代させられ情報が外部に漏れないように担当者をガス室に送り殺害していた。

 

収容所管理室は死体安置所だったこの部屋をガス室に改造しチクロンBで大勢を殺害しました。

 

1944年8月からアウシュヴィッツ収容所でも、犯罪の痕跡を消すためガス室と焼却炉を解体や爆破し、証拠隠滅に奔走した。

 

脱走失敗者やその協力者を見せしめのため公開処刑しました。写真は脱走に成功した報復として12人を吊るした絞首台。

 

囚人の身分証と囚人服に貼る番号

 

一度入ったら出ることが許されない。電線には電流が流れていてここから出ることは叶わない。ここから出ることが許されるのは死んで焼却された煙が排気口から出るのみ

 

数多くの罪もない人間が突然拘束され理由も分からないまま、子どもから老人までガス室へ入れられる。この機械的殺害を毎日続いた、何故誰も止められなかったのだろうか




アムステルダム市プリンセンフラハト263番地の隠れ家。密告によりナチスの親衛隊に見つかってしまいました。その後強制収容所で15歳と言う短い生涯を閉じます。

屋根裏部屋で書いた日記が父親のオットー・フランクさんの死力により出版され世界中で有名になり売り上げは3000万部余りに達しています。

 

展示されている『アンネの日記』

 

隠れ家やの階段。階段を降りきったところが隠れ家の入り口です。部屋は本棚で隠されていました。

 

隠れ家とアンネと同居人の7人

最終的には隠れ家を密告され全員逮捕されてしまう。未だに誰が密告したか不明です。

アンネ・フランク
逮捕後、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で、発疹チフスにより死亡。

オットー・フランク(父)
逮捕後、戦後まで生き延び、娘アンネの日記を出版。

エーディト・フランク(母)
逮捕後、アウシュヴィッツ強制収容所で死亡。

マルゴット・フランク。
逮捕後、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で死亡。

ペーター・ファン・ペルス(恋愛関係になる少年)
逮捕後、マウトハウゼン強制収容所で死亡。

ヘルマン・ファン・ペルス(ペーターの父)
逮捕後、アウシュヴィッツ収容所で死亡。

アウグステ・ファン・ペルス(ヘルマンの妻)
逮捕後、死亡するがいずれの収容所へ送られたか不明。

フリッツ・プフェファー
逮捕後、ノイエンガンメ強制収容所で死亡。

■博物館詳細

 博物館名  アウシュヴィッツ平和博物館
 住  所  福島県白河市白坂三輪台245
 営業時間  10:00~17:00
 定休日  毎週火曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(土日の場合は開館)
 TEL  0248-28-2108
 URL  http://www.am-j.or.jp/index2.htm
 駐車場  あり(約20台)
 アクセス  JR東北本線「白坂駅」から徒歩5分、JR東北新幹線「新白河駅」から車で10分、東北自動車道「白河IC」から車で10分

 



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