悪者扱いのWinny

こんにちはsaiです。皆さんはWinnyをご存知だろうかWinny開発者の金子氏が開発したことから波乱の人生を迎えることとなったことを・・

この頃はまだ私はサラリーマンでした。コンピュータ関係の仕事でしたので情報流出は勿論あてはならないことです。その為の対策は日々うるさいくらい実施し対策しています。

富〇通のグループの一員としての企業でもあったので当然Winny対策は早かった。サーバ内で毎日管理し端末にWinnyのexeファイルがあるか監視している。exeファイルだけではないWinnyの名前だけでも検知されます。これだけではない他の似たようなShareなどファイル共有ソフトもNGです。ソフトを使わないPC上のファイル共有もNGです。

毎日ウイルス感染対策や情報漏えいに敏感でした。それゆえWinnyを開発した金子氏はほぼ国民から悪者扱いで見られていたのではないでしょうか

しかし金子氏は純粋にプログラムの開発者に過ぎません。当時主流ではなかったP2Pを基礎にWinnyを作った。それも1ヶ月あまりで完成させたのです。私達から見ればプログラムの天才です。当時頻繁に2chに出没して知らないもの同志意見を交わし作成したようです。

この偉大な技術を心無いものに使われ「著作権法違反幇助」で警察に拘束されました。警察も向ける矛先が違うはずなのに開発者に向けられてしまった。

 

その為後にWinnyに手を加えることが出来なかったのです。今、各あるSNSなど著作権違反などあれば経営者や運営者などに申し立てを行えば事実確認後削除することが出来ます。しかし当時の開発したWinnyには削除する機能が備わっていませんでした。これを拘束されていなければ金子氏が機能追加でバージョンアップも出来たはずです。もっと良い方向へと行っていたかも知れません。

でも警察によって拘束されていてはそれは叶いませんでした。裁判費用も数週間で1500万円以上応援者から寄付で集まったそうです。裁判では結果的に150万円の罰金を受けましたが控訴しました。最終的には無罪を勝ち取りました。

しかしその間失われた数年間は取り戻せません。天才的プログラムを生かすことも出来なかったのです。無罪判決が出て東京大学の特任講師として復職しましたが僅か半年で急性心筋梗塞で死去してしまいました。(享年42歳)

プログラムの世界だけではなく日本の技術にとっても大変重要な方を失ったことは大変大きいと思います。




 

~~~Winny開発者(金子 勇)の拘束から無罪までの流れ~~~

2002年に発表され爆発的に普及したファイル共有ソフトWinny1(Winny version1)。データ転送におけるアルゴリズムに加え、高い「匿名性」性を有していたために心無いユーザが使ったことから映画や音楽、商用データまで共有され著作権違反が横行した。

そして一部ユーザがコンピューターウイルスまでアップロードしたことからPCが感染し世界中に一気に広まった。Winnyを入れた端末は本人が知らない間に共有され企業の重要データまで流出した事は記憶に新しい。

結果的にWinnyの開発者である金子 勇が「著作権法違反幇助」の疑いで2004年に逮捕、起訴される。無罪判決が下されるまで7年と言う歳月が流れた。

 






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